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骨折して気付いたこと

52歳の誕生日の9日前に右足首を骨折しました。

 

原因は「歩きスマホ」

 

その日、私は旅行で広島県福山市にある小さな港町に来ていました。

 

前夜、お宿で食べた素晴らしい料理の感想を興奮気味に話しながら、

 

女友達と狭い路地を歩いていた時のことです。

 

 

前日に新聞社から取材依頼の連絡を受けており、その打ち合わせのための

 

返信用の文章を同時に打っていました。

 

本当は時間をもらって返信に集中すればよかったのですが、その日はスケジュールが

 

詰まっていたので、私は焦っていました。

 

ふいに視界が変わり、「グキッ」と言う鈍い音とともに右足首に激痛が走りました。

 

横転し道路に投げ出された私は、そこでようやく転んだことに気がつきます。

 

すぐに立ち上がって歩けたので、捻挫のひどいやつだろうくらいに思っていたら、

 

剝離骨折でした。

 

 

その日から自宅で数週間療養することになります。

 

幸い骨折は軽症だったので入院せず、日常生活も問題なく送ることが出来ました。

 

骨折して5日目の朝

 

母が電話をしてきました。

 

そして「昨日こんなことがあったよ」の世間話として私の骨折が話題に出ます。

 

母「リン先生(母の通っている中国鍼灸の先生)がね、娘は今度いつ帰ってくる?

 

と聞いてきたから、あんたが骨折したことを言ったんよ。そしたら、

 

何で骨折したのか?と聞いてきたから、

 

歩きスマホですよ、先生。って答えたのよ。

 

そしたら、歩きスマホ、ダメダメ!って言ってたよ。」

 

と、冗談っぽく言ったのです。

 

瞬間、不快な気持ちが襲ってきました。

 

苛立ちのような、腹立たしさのような…

 

その時は、輪郭がぼやけていた自分の気持ちを言葉にできませんでした。

 

ただ、これ以上母の話を聞きたくないと思ったので早々に電話を切り上げました。

 

そこから自問タイムが始まります。

 

 

母が言っていることは、あからさまにひどい話ではありません。

 

歩きスマホをした私が悪いのもおっしゃる通り。

 

 

なのに、何でこんなにイライラするんだろう…

 

私は不快な気持ちがした時に上手に切り替えることが出来ません。

 

気になり始めたら、そこに没入してしまうのです。

 

これはHSP(繊細さん)の気質に影響を受けていると思います。

 

些細なことで動揺してしまい、どうがんばっても前向きな気持ちになれないのです。

 

ロサンゼルスに住む友達と朝からお互いの夢について楽しく会話をした直後

 

だったのに、その楽しかった気分を台無しにされたような

 

心の中が、雲一つない青空から今にも雨が降り出しそうな曇り空に変わりました。

 

 

 

20分くらい自問自答が続いたあと、あることに気がつきました。

 

私は母に「痛いよね。歩きスマホがいけないことだと分かっていたけど、仕事だから仕方が

 

なかったんだよね。本当は転びたくなかったよね。」

 

と、共感してほしかったのです。

 

中国鍼の先生の話を冗談っぽく言うのではなく、優しい言葉をかけてほしかったのです。

 

同時にこう思いました

 

「もう52歳になるのに、一体いつまで母親にケアしてもらうことを求めているの?

 

悪いのは自分じゃん。母親に悪気はなかったんだし責めるのはおかしいよ。

 

それに中国鍼の先生にどう思われたって別によくない?」と。

 

 

前者は私の心の声

 

後者は私の考えの声

 

どちらも私の中から出てきたものです。

 

頭の中で両者のせめぎ合いが始まります。

 

こんな風に心の声と考えの声が一致しない時は

 

自分が普段、仕事で使っている心理療法をセルフで行います。

 

苛立ち(不快感情)の奥にある本物の気持ちに意識を向けるのです。

 

ふ~っと息を吐きながら自分の心に尋ねます。

 

 

すると…

 

「傷ついた」

 

「本当は悲しい」

 

と言う気持ちが出てきました。

 

母親に、自分の痛みをディスられたような気がして悲しかったのです。

 

母は悪気はなかったと思いますし、本当は私に歩きスマホに気をつけてと

 

戒めたいけど大人になった娘に面と向かって言えないから、中国鍼の先生の言葉を借りて

 

言ったのかもしれません。

 

はたまた何も考えてなかったのかもしれません。

 

何となく後者の方だと思いますが。

 

 

今回の私のように、ほんの些細なきっかけに心が大きく揺れる時、

 

実は過去の体験が影響していることがあります。

 

私の母親は、自分の感情や心の痛み(傷つき)に蓋をしている人です。

 

私が小さい頃、自分の感情や痛み(傷つき)を表現しても全く共感してもらえませんでした。

 

その時のつらい記憶が母の些細な一言で蘇ったのです。

 

 

戦中生まれの母は1才の時に軍人だった父親を戦争で亡くし、

 

大正生まれの母親(祖母)からスパルタで育てられました。

 

祖母から想像を絶するような否定の言葉を浴びせられて育ったため、

 

それに耐えれるように自然な感情や心の痛み(傷つき)を感じないようになったのです。

 

母の話は長くなるのでここでは割愛しますが、普段は寛容でやさしい人です。

 

ですが、(自分も含め)他人のネガティブな感情や心の痛み(傷つき)に関しては

 

びっくりするほど無頓着なのです。

 

過去には、それが原因で夫婦関係がギクシャクした時期もありましたが、

 

当時は心理学の知識も普及していませんし、

 

フルタイムで双子のワンオペ育児をしていたので、

 

自分を振り返る時間も心の余裕もなかったのですね。

 

小さい頃、私が悲しくて泣いていたら「そんなことで泣かないの。我慢しなさい。」

 

怒っていたら「わがままを言うな!」と、逆ギレ

 

「嫌だ!」と駄々をこねたら、途端に不機嫌になって無視されました。

 

私はHSPで感受性が豊かです。

 

些細なことですぐに感情を感じてしまい、とても動揺しやすい子供でした。

 

自分の感情や痛み(傷つき)がよく分からなくて、この気持ちをどうにかして欲しいと

 

母に必死で表現しても、軽んじられたり、怒られたり、不機嫌になられて、

 

幾度となく傷つきを体験します。

 

いつしか母と同じように、感情や痛み(傷つき)を感じることに蓋をするように

 

なりました。

 

幼い私には、それしか自分の心を守る術がなかったのです。

 

大人になって、感情に蓋をしていたことが原因で人間関係が行き詰まって、

 

心理療法に出会いました。

 

カウンセラーさんの力を借りて、過去に置いてきた痛み(傷つき)をずいぶん癒しましたし、

 

自分でもその傷を癒せるようになっていました。

 

ですが、まだ残っていたのですね。

 

骨折したことで、過去の痛み(傷つき)が「今ここ」にポン!と浮かび上がったのです。

 

「母に自分の気持ちや心の傷つき(痛み)を分かってもらえなくて悲しかった」

 

と言う小学校の頃の感情を「今ここ」で感じたらずいぶんとスッキリしました。

 

そしてこう思ったのです。

 

「この気持ちを母に伝えよう」

 

「もう伝えていい。母からどんな態度を取られても今の私には何の影響もない。」

 

小さい頃は、母に嫌われたくなくて言えませんでした。

 

私の繊細で傷つきやすい気質は、感情に蓋をしている母にとって難解な

 

パズルのように見えたことでしょう。

 

感情や痛み(傷つき)を表現した時、なぜだか自分を拒絶されているような気がしていました。

 

母に捨てられるような気がして言えなかったのです。

 

でも今は違います。

 

母から嫌われても、面倒くさいやつだと思われても私の人生はびくともしません。

 

「もう我慢しなくていいのだ」

 

そう思った私は、早速、母に「悲しくて傷ついた」とラインしました。

 

「自分の痛みを見ないから娘の痛みにも鈍感なんだね」と言う嫌味な一言は

 

既読する前に取り消しました。母が読まなくてよかったと思います。

 

母にも感情や痛みに蓋をせざるを得なかった辛い過去があるのです。

 

ラインで自分の気持ちだけを伝えました。

 

するとどうでしょう。

 

ものすごくスッキリしました。

 

そして気付きます。

 

「これが自己表現」なんだと。

 

自分の素直な気持ちや痛み(傷つき)を他人に表現することにためらいを持つ人は

 

多いのではないでしょうか。

 

なぜなら、相手に受け入れてもらえなかった時は傷つくからです。

 

私は傷つくことが苦手です。

 

母に傷つけられたくないから、表現しないことで幼い自分を守ってきました。

 

今でも自分の本当の気持ちや痛み(傷つき)を表現することにためらいがありますが、

 

過去に置いてきた傷つきを癒すほどにそのハードルは下がっています。

 

 

母親の何気ない一言がきっかけで、一瞬にして小さい頃の自分に戻りましたが、

 

置いてきた痛み(傷つき)の原因である「深い悲しみ」を感じてあげたら

 

「今ここ」に戻れて行動を選択できたのです。

 

 

私はもうすぐ52歳。無力だったあの頃の自分ではありません。

 

母から私の個性を受け入れてもらえなくても生きて行けます。

 

自分を表現して、良いところも悪いところもあるあなたを好きだと言ってくれる人と

 

一緒に生きていけばいいのです。

 

心療療法のおかげで過去の傷を自力で解決することができました。

 

その後の母からの返信ですが、

 

「ごめんなさいね。先生からいつ帰ってくるの?と聞かれたから答えただけです」

 

そうですよね。母に悪気はないのです。

 

後日、ゆっくり話してわだかまりは取れました。

 

HSP(繊細さん)独特の反応パターンにも気付けましたし、

 

これ以上、母を攻撃したり、嫌悪せずに済んだのでよかったと思いました。

 

 

こんな風に過去に置いてきた心の傷は自分で癒すことができます。

 

人はだれでも心に傷を抱えて生きていると思います。

 

過去の傷が「今ここ」に影響していて、生き辛さを感じている方には

 

 

ぜひこのプロセスを体験してもらえたらと思っています。