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認知症になった父

認知症になった父

 

「お父さん」

 

呼びかけても…こっちを見ない。

 

私を娘だと認識できなくなってしまった。

 

目の前にいる高齢の男性は、私のお父さんじゃなくなってしまった。

 

認知症による父との別れ

 

あの優しかったお父さんにはもう会えない。

 

書きながら涙が止まらない

 

堰を切ったかのようにあふれ出る涙で、何年も我慢していた事に気付く

 

認知症と言う病によって、私と父の絆がゆっくりと消えていく。

 

そのことがずっとずっと悲しかったんだ。

 

 

昭和17年生まれ

 

5人兄弟の4番目 

 

物静かでいつも本を読んでいたやさしい父

 

寡黙さの中に威厳があった。

 

仕事から帰宅したら入浴し、お気に入りの青いガウンを着て食卓に座る。

 

キリンの瓶ビールと芋焼酎さつま白波6;4のお湯割りが定番

 

母の料理をつまみに美味しそうにお酒を飲んでいた。

 

〆に漬物と味噌汁で白米を食べ、食後にりんごをかじりながら本を読む、

 

片手にはいつもウイスキーのロックがあった。私の記憶する父の姿。

 

日本経済がバブルに向かう黎明期。

 

仕事がどんなに大変でも休みの日は私たちを自然の中に連れ出してくれた。

 

大分県耶馬渓の「竜門の滝」

 

九州では有名な名瀑だ。

 

バーベキューセットを持ち込んで

 

ジュージューと音をたて、焼きあがるお肉を、おいしいね、おいしいね、

 

と言いながらほおばった。

 

空の米袋に枯れ葉を詰め、それをクッションに急斜面の岩肌からすべり落ちる。

 

滝つぼに「バシャーン!」と飛び込むスリルと興奮

 

兄と一緒に夢中になった。

 

半ば、あきれ顔で見守る母とは対照的に「いいぞ!いいぞ!」と笑いながらあおる父

 

昭和の懐かしい我が家の夏

 

父が60歳を過ぎた頃から物忘れが激しくなった。

 

認知症はゆっくり進む。

 

物忘れが増えても、家族にとっては大事な父に変わりはない。

 

70代後半、精神的な症状が出始め、気に入らないことがあると家族を殴るようになった。

 

私たちは混乱した。

 

目の前には見たことのない父がいた。

 

病気のせいだと分かっていても、父への失望と嫌悪、そして憎しみが止まらない。

 

「ご家族の憎しみが向こうに行ったまま、戻ってこれなくなる前に私たちに託してくださいね。その方がお父さんにも良いのですよ」

 

認知症専門施設のケアマネージャーさんの言葉が私たち家族の背中を押してくれた。

 

認知症は、一番世話をしてくれる人を一番傷つけてしまう病気。

 

家族が我慢しすぎて憎しみが積った結果、一人で最期を迎えた認知症患者さんを何人も見たそうだ。

 

そんな経験をしてほしくないから…と、施設への入所を勧めるケアマネさんの瞳に、

 

すべてを見てきた悲しみを感じた。

 

それから一か月

 

父が突然いなくなり、警察のお世話になった。

 

そんなことが3回続いた。

 

「父の安全を確保できなくなったら施設に入ってもうおう」

 

母とそう決めていたので、その日を境に父の入所探しが始まった。

 

入所2日前

 

父をだまして、施設に見学に行った。

 

終えた後、母と3人で食事をしたレストランでの光景が忘れられない。

 

皿を汚しながら無邪気に食べる父を見て

 

嘘をついた罪悪感と、悲しさで胸が張り裂けそうだった

 

「お父さん…ごめんね…」

 

今でもそのレストランの前を通る度に私の心はひっそりと泣く。

 

入所当日

 

私は父をだまして施設に捨ててきた。

 

何が起きているのか理解できない父の不安そうな表情が今も脳裏から離れない。

 

父は「家族に捨てられた…」と思っただろう。

 

自分が人生をかけて守った家族に捨てられる

 

どんな悲しみなのか

 

どんな絶望なのか

 

想像するだけで苦しくて、息が出来なくなる。

 

その日の夜中、施設から連絡が入った。

 

父が抜け出そうとした。

 

止めに入った職員さんを泥棒だと妄想し暴力をふるい警察に連れて行かれたと。

 

「お父さん、家に帰りたかったんだね」

 

そう思うと、つらくて、悲しくて、押し寄せる罪悪感の波にのまれそうになる。

 

その後、強制的に精神病院に入院させられ、四肢を拘束され、格子窓の向こうで必死にもがいている姿を私は直視ことができなかった。

 

あれから4年…

 

父は天国に旅立った。

 

最期はいつもの穏やかなやさしい顔を私たちに見せてくれた。

 

「お父さん、よくがんばったね。おつかれさまでした」

 

たくさんの思い出がよみがえる。

 

辛かっただろう、傷ついただろう、不安だっただろう

 

自分の身に起きていることが理解できない恐怖…

 

父の苦しみを思うと眠れなくて、心に蓋をしたくなったあの時の記憶

 

今でも後悔や自責は残っているけれど、辛い気持ちから逃げずに最期まで関わったことが

 

今の私を支えてくれている。

 

認知症は、本人も家族も傷つく病気。

 

1人では到底乗り越えることはできなかった。

 

家族や友達、介護、福祉、心の専門家がたくさんのやさしさを寄せてくれた。

  

今、家族が認知症で苦しんでいる方へ伝えたいこと。

 

あなたが悩みを表現することで集まってくるご縁や優しさがあります。

 

そのご縁に出会ってほしいと願います。

 

この世には、あなたの辛さを分かってくれる人は必ずいます。

 

1人で抱えこまないで誰かに相談してほしいです。